「デューク本郷」は「山口雅也」氏です(最終回)

 

 

 今回で山口雅也氏に対する物は最終回です。次回は、「何故、無料世界から(再)撤退するか?」について書いて、総まとめとし、当サイト自体を閉じようと思います(サイト自体は、<新しい形の製品カタログ>として再開しますが<ブログ欄>は置きません→勿論、有料世界「ビュロー菊地チャンネル」では続けます)。

 

 

 とさて、以下、前回の「2分09秒までで解る事」の先に進みます。

 

 

 人格異常者の(勿論ワタシは、人格異常者に対しても精神病者に対しても神経症者に対しても、一切の偏見も陰性感情もありません。今回は、降り掛かった火の粉に、偶然人格異常者の傾向が色濃かった。というだけで、比較的精神的に健康である町山智浩さんも、比較的精神的に不健康である山口雅也さんも、同じ<オレにインネン付けて来た奴(どちらも<アメリカ在住の、拳銃持ち・笑>)という意味では変わりありません。異常者の毒気に弱い方は、そもそもの山口氏の講義も、それを分析せんとするこのブログも読まないで下さい。よほどこの件について興味がある方でない限り、読まない方がいくらか牧歌的な人生を送れるでしょう。

 

 

 ワタシの山口さんへの反論が開始されるや否や、再生回数400となんぼだった氏の「ジャズ講義」は、現在3000回を越えています。端的に言って彼は、無邪気に喜んでいる筈です(笑)。

 

 

 

 それでは悪食かつ趣味のお悪い方、かつ、可哀想な事に、毒に感染して、苦しみながらも読むのを止められない人々(SNSにハマっている人々の大半がそうなので、特に同情はしませんが・笑)、お待たせ致しました。

 

 

     <本当に「行った(おこなった)」のは誰か?>

 

 

 2分9秒からの、明らかに我々に対する、消極的挑発を含んだ台詞を書き起こしてみます。

 

 

 「日本の国立大学で<行った(おこなった)>、ジャズの講義録をまとめた本なんかは、アメリカでは全く通用しないデタラメな物で、根本的に間違ってる、訂正のしようがない物なんで」

 

 

 ここでの、一瞬の「行った(おこなった)」は、前回の最後に指摘した様に、第一には主客が(彼がやったんではないので)、第二には時制が(たった今、行った物ではなく、10年以上前に「行われた(おこなわれた)」ものなので)二重に間違っています。

 

 

 「そんなの、ちょっとした言い間違いじゃないか。アメリカが長いんだし。日本語の端っこをちょっと間違えたんでしょ」と仰る方も多いでしょう、しかし毎度お馴染みフロイドで言えば、こうした「ちょっとした言い間違い」が再重要なんです(そして氏は、「ちょいちょい帰国」していますが、これについては最後に触れます)。しかも、それが<反復>された際には、重要性は更に上がります。そして更に更に言えば、この部分以外、「日本語がおかしい」箇所は一カ所もありません。ここだけです。

 

 

 <反復>を確認しましょう。一度、24分54秒まで先に送って下さい。

 

 

 「(えー)日本の国立大学で<行った(おこなった)>。ジャズの講義録をまとめた本なんかは、(まあ)アメリカでは全く通用しないデタラメな物で、根本的に間違ってる、(まあ)訂正のしようがない物なんで」

 

   全く同じです。3つの可能性が考えられます。

 

 

1)サンプリング(彼はこの講義をPC製作しているので)

 

2)台本

 

3)即興(何度も何度も脳内で反復し、いつでも出て来る様になったクリシェ=決まり文句)

 

 (1)は否定すべきです。カッコに括った「えー」と「まあ」は、初回にはありません(まあ「初回分だけは編集した」とは言い始めるとキリがないけど)。

 

 

 となると、(2)か(3)という事になるんですが、どちらにしても、物凄い怨念です(笑)。

 

 

 論旨の強調の為や、修辞上のリズムのために、敢えて反復を使ったり、そもそも執着的な性格で、どんな事でも(セヴンのアイスコーヒーが旨いとか、「トットてれび」の満島ひかりさんは物凄すぎたとか)、その気もなく、自然に何度か反復する人はいます(「反復」に関して、俗流だとしても精神分析的に詳しくやるとキリがないのでここではこんなモンで)。

 

 

 ただ、ワタシ(じゃなくても誰でも良いんだけど)が、

 

 

 「東京の秋葉原で<おこなった>連続殺人事件なんかは、本当に恐ろしい物で」

 

 

 と約30分の中で<2度>言ったとしましょう。あなたは「単なる良い間違い」だと評価しますか?(他に、特に主客や時制の間違いは一度もしていないのに。です)

 

 

 しかし、計画性にせよ、発生性にしても、主客と時制を共に転倒するほどの興奮を伴ったこの一連の台詞は「とにかくコレだけは何度だって言ってやる。何度だって言ってやる。何度だって言ってやるからな。何度だって言ってやるんだ。現に、脳内では何年も止まらないんだ」という、殺意にも近い物を感じます。

 

 

 というか端的に殺意でしょう(「殺される」という被害妄想と対になった。いくらこの人が、伝説の暗殺者「デューク東郷(劇画「ゴルゴ13」の主人公)」のパロディである「デューク本郷」を名乗り、遠いマンハッタン(恐らくニュージャージーぐらいだけど・笑)からスコープを覗き込み、一発で我々を仕留めたつもりが、我々に銃弾はあたっていないどころか、逆に議論をふっかけてきたり、なんだかどうやら楽しそうにやっている。

 

 

 つまり「殺したのに、死んでない」訳です。

 

 

 こんな辛い事は無いと思います。世の中にはシリアルキラーという人々がいて(衝動的ではない、スロータイムのロングスパンがシリアルキラー、衝動的でクイックタイムなのは概ねスプレーキラーと言います。それこそ秋葉原事件は、<日本のスプレーキラーの代表的事件>です)、彼等は、「実際に殺しても、まだ相手が殺していないと感じるので」、何年、場合に寄っては何十年もかけて何人でも殺し続ける訳で、以下、フロイドのタームではありませんが、怨念という狼を心の中で大切に飼育して人々の生きる糧であります。

 

 

 <東京大学で行われた><東京大学で行われている(「いた」が正解)>等々、彼が少しでも正しく言い直した時、彼の呪いの狼は少しおとなしく、或は死にかけていると言えるでしょう。そして、総ての言い間違いには根拠があるとするのが、フロイディアンという、実に古くさい、実に批判も多い思想に依拠するワタシの考え方です。そして日本語で「語るに落ちる」「アホ言うもんがアホじゃ」「天に唾を吐く」「アドルフに告ぐ(手塚治虫の漫画。<ヒットラー自身がユダヤ人だった>説に、ストーリーが立脚している)」等々の表現を、フロイドは「自白」と呼んでいます。

 

 

 その上で言います。本当に、<アメリカでは全く通用しない>のは、誰なんでしょうか?本当に、<基本的に間違ってる>のは、一体、誰なんでしょう?

 

 

 それよりも何より、なぜ彼は、この言葉を吐く時、異様なまでに憤激するんでしょうか?

 

 

 

<一転して、掴みの大爆笑ハンパねえ(ちょっと悔しいぜ・笑>

 

 

 さて、ひと毒吐き終え(笑)、少し山ちゃんの口調も弾み出して参りまして

 

 

2分22秒「事始めに、アメリカ最新のジャズ研究のやり方とか、そういう根源的な事から、お話ししたいと思います」

 

 

 なんつって、何も知らない人々は大いに期待するでしょうし、何を隠そう、このワタシも、皮肉でもなんでもなく、ガチで非常にワクワクさせられました。

 

 

 人格障害者、特に自己愛性の者には多く、いわゆるカリスマがあります。地獄の様な屈辱感をバネにした、天空を舞い上がる様な万能感に、ついつい引きずり込まれてしまう。

 

 

 ワタシも、「これだよおアイラブ雅也。これが聴きたかったんだよお。オレと大谷クンへのディスりはまあ、許してやるから、これをガッツり聴かせてくれよお」と、思わず身を乗り出してしまいました。前回までに書いた、経歴詐称や、あらゆる怪しさも全部吹っ飛んで(笑)。

 

 

(*以下、読んでいる方が全員、彼の講義ヴィデオをご覧になっている前提で「○分○○秒」表示は総てカットします。「ああ、あそこね」という感じで照合して下さい>)

 

 

 するとですな、いきなし

 

 

1)ニューヨークのニックネーム BIG APPLEの話

 

2)ジャズの語源 ジャズとは何か?

 

3)歴史書の歴史=ヒストリオグラフィ 日本のジャズの歴史書の歴史

 

 とコンテンツが紹介されます。

 

 

 ヤッベー!こんなベイシックな所から、「最新の」「アメリカの」ジャズ研究の一端が開陳されるのか!!ジョン・J・フィッツジェラルドや、<一番古いのは野球のジャズボールだけど、まだわかんねえ>等々の、カビの生えた俗説を覆す、「ここ20年で大きく変わったアメリカのジャズ研究」の成果が聴けるんだな!!やったー!!

 

 

 と思って講義を聴くといきなりトーフルが出て来るんですねえ(笑)。やっぱキチガイは面白い(笑)。

 

 

 この、噎せ返らんばかりの「英語権威主義=留学権威主義」の<オレは凄いだろう感>にヤラれちゃって、グッタリしたら、もう先は観ない方が良いです、でも、なにせ面白く聴かせるからね。カリスマあるから。

 

 

 そしたらもう(笑)、期待を裏切らないどころか、期待を150%ぐらい上回る、驚異の「NHKの語学講座」のパロディが出て来ます。死ぬほど見たんだろうなあこの人、NHKの語学講座(笑)。そりゃあ出たいよなあNHK

 

 

 はっきりいって、面白さだけで言ったら、ウチラの授業よりずっと上かも知れない(内容はまあ、1000分の1だとしても)。やっぱねえ、ここでは「クッソー負けた(笑)」感ありましたよ(笑・届けてえなあ、この感想)。

 

 

 だって、「ニューヨークの語源は?」っていう問題で、ADの四択が出る訳ね。

 

 

 それで、ミスリードの恰好で、「皆さんDとお答えに成りましたよね」って言ってから、「ブッブー」っと不正解のブザー音を口で出して(ここ、すげえカワイイ・笑)正解が出るんですが、これがなんと。

 

 

 いきなり飛び出して来る五番目の(E)なのお!!!(笑)問題は四択なんですよ!!

 

 

 ちょっと面白いじゃないか!!(笑)

 

 

 と、まあまあまあ、これはご覧になったとおり「トーフルの教科書が古くさくて(92年度版)、間違った(っていうか、「ひと世代前の」)解釈を正解としている上、その問題が自体が四択だから」という前提に立ったもので、100%雅也オリジナル・ギャグとは言えませんが、それにしたって笑いました(笑)。

 

 

 そして、いよいよ

 

 

「ここ20で随分変わって来た、最新の、アメリカのジャズ研究」

 

 

 の成果を踏まえた、マサヤ先生の正解が出るんですけど、何と

 

 

「正解は、<E>のジョン・J・フィッツジェラルドです」

 

 

リピート「正解は、<E>のジョン・J・フィッツジェラルドです」

 

 

え?、、、、、

 

 

それって、、、、、、

 

 

一般的な通説じゃ?、、、、

 

 

ま、、、、まだ、ひっくり返る、、、、、ん、ですよね、、、、山口先生、、、、ユーモリストでいらっしゃるからあ、、、、あははははは、、、、、あはは、、、、、はは、、、、

 

 

ひっくり返らないの(突っ伏して涙)。

 

 

 

<さて、日本で、上手くすればご近所の本屋さんでも買う事が出来るし、少なくともAmazonでは楽勝で買う事が出来る本から一節を引用します>

 

 

 フランスのジャズマニアが書いたエッセイ集を、ワタシの友人でもある鈴木孝弥さんが翻訳した物で、原著(フランス版)が2009年、日本語版が2011年に出た物ですが、「学術書」でも「歴史書」でも「最新の研究の成果」でもありません、いかにもフランスらしい小粋なエッセイ集で、とても素敵な本なので、是非ご一読をお勧め致します。

 

 

「だけど、誰がディジーのトランペットをひん曲げたんだ?~ジャズエピソード傑作選~」ブリュノ・コストゥマル著/鈴木孝弥訳 

 

 

p32「ビッグ・アップルとアダムのりんご」

 

 

 ニュー・ヨークにつけられた、あの有名な愛称はどこから来たのだろう?人はしばしば、1929年の大恐慌で破産した金融家達が、郊外のコテージで作ったりんごをニュー・ヨークの路上で売る事を余儀なくされた話(*注1)を思い出す。

 

 あるいは、30年代のある大衆ダンスを。キャブ・キャロウェイが出演した同名映画の着想元に成った奴だ(*注2)。

 

 さらには、フランス移民で売春宿の女将だったエヴ・ドゥ・サン=テヴルモンのことを思い出す者までいる。というのも、彼女の将官の若い女の子だちは、<齧りたくなる林檎ちゃん>と、呼ばれ、19世紀の初頭、高級住宅街だったボンド・ストリート界隈で評判だったからだ(*注3)

 

 しかし、この愛称のオリジンとして最も世に認められている説は、ジョン・J・フィッツジェラルドという男から来る物だ。1920年代の事だが、「モーニング・テレグラフ」紙の競馬コラムニストだった彼は、ニュー・オーリンズを取材している最中に、厩舎の二人の青年がニュー・ヨークの競馬場競馬場のことを、<ビッグ・アップル>と呼んで会話しているのを耳にする。彼等にとって<大きなりんご>とは、サラブレッドが莫大な額の利益をもたらせてくれる場所、という意味なのである。この比喩を気に入ったフィッツジェラルドは、それをニューヨークのニューヨークの街全体のメタファーに拡張し、今もって有名な、以下の文章で締めくくられたテクストに使用したのである。

 

 

 <ただひとつ、大きなりんごがあるだけだ。それがニューヨークなのだ、それがニュー・ヨークなのだ!>

 

 

 おそらくこうしたエピソードの総てを<よすが>としてこのニックネームをポピュラーにするのが、1920年代と30年代のジャズ・シーンである。

 

 

 ハーレムのクラブ黄金時代(*注4)、そこで最も有名だったクラブの店名が「ビッグ・アップル」であり、ニュー・ヨークに滞在するミュージシャンたちにとって、そのクラブに出演する事は仕事として不可欠なことだった。やがて彼らは、「ニュー・ヨークに行く」とは言わずに、「ビッグ・アップルに行く」と言うようになるのである。

 

 

 偶然の一致かどうかは分らないが、彼らのスラングにおける<でっかいりんごを持つ>という表現は、ステイジに上がる前の緊張から「アダムの林檎」(*注5)が破裂しそうになっている状態を指しもするものだ。

 

 

 そうしたジャズ界での日常的な表現が、地元の作家でジャーナリストのデイモン・ランヨンによって引用される。

 

 

<成功の木には多くのりんごがなっている。が、もしもあなたがニュー・ヨークのそれを収穫するとき、あなたは<ザ・ビッグ・アップルを穫るのだ>

 

 

 (後略)

 

 

注1) 1929年10月のニュー・ヨークの株式市場の株価大暴落によって金融家、製造業者を始め多くの失業者が待ちに溢れ、りんご協会が失業者たちにりんごを卸して販売させるシステムを導入。多くの失業者が、首から<職求む>と書いた看板をかけ、新たな仕事を探しながら路上でりんごを売るようになった。

 

注2) もしかするとここには、キャブ・キャロウェイが出演した「ジターバグ(「ジルバ」の語源)パーティー」(1944)と、1938年の映画「キープ・パンチン」から、ダンス集団ホワイティ・リンディ・ホッパーズ、がダンス「ザ・ビッグ・アップル」を踊るシーンを編集した短編作品「ザ・ビッグアップル」(a.k.aジターリング・ジターバグス(1943)との、著者による混同があるかもしれない。 

 

注3)  エヴ・ドゥ・サン=テルモンの「エヴ(Eva)」は、アメリカ風に読む

 

と「イヴ」であり、アダム&イヴの連想から、彼女のところの従業員を<りんごちゃん>と呼ぶようになった。という意味であろう。

 

 

注4)  不動産バブルが弾けて、地価、家賃が暴落し、黒人たちの居住区が形成

 

された事で、1920年代の同地にアフリカ系アメリカ人のアイデンティティーを示すインナー・シティ・カルチャーが一気に存在感を見せ始めた芸術興隆運動、いわゆるハーレム・ルネッサンンスの時代を示している。

 

 

注5) のどぼとけのこと(聖書に依る)。

 

 まだ、ネットだとかで使われてんですかね?「ズッコーン」という言葉。これを山口先生にお送りしたいと思います(笑)。

 

 

 だってこんなん、昭和から知られてる事だよ。恐らく世界中で(笑)。オレ読んだもん、高校ぐらいの時、「アメリカ雑学集」みたいな本で。

 

 

 興奮して思わず口語体になっちゃうけど(笑)、だってね。この一連の流れって、言うまでもないけど、山口がトーフルの教科書読んだのは96年であって、その時既に、<渡米前の山口くんも、この事知ってるから>気がついたんだろ!!!(笑)アメリカの大学で学んだ事じゃねえじゃねえかよ!!(爆笑)

 

 

 「アメリカの、最新のジャズ学」どこに行っちゃったんだよ!!

 

 

 ブリュノ・コストゥマルは、この、「誰でも知っている、有名な一節」だけの紹介じゃ、上質なエッセイ集の一編としては弱いと思い、いくつかの古説、通俗説等をまぶして、小粋なエッセイの一編に仕上げた訳です(繰り返しますが、孝弥さんの名訳も手伝って、本当に、心が愉快に、楽に成る名著ですんで、こんな毒をもって毒を製する解説なんか読んでないで、この本読みましょうね。金がかかるけど・笑)。

 

 

 何の為に、こんな、誰からでも蜘蛛の巣城の矢みたいに360度ツッコミが入ってしまう様な事を山口はしたんでしょうか? 脇を固めなきゃ、訳解んない通りすがりのバカまでから突っ込まれるクソのような時代に、Amazonのユーザーズレビューでは、自分への批判は総てブロックさせ、他人への悪態は書き放題。という、法務省をバックにつけた(笑)、高度で悪質なタクティクスまで使う人なのに。

 

 

 <答えはもうお解り>

 

 

 得意の、「アメリカの大学教授と親しくさせてもらってます」の申告の為です。

 

 

 これを言う瞬間も、彼はさっきの呪詛のクリシェと同じ、舞い上がる様な非現実感の中にいます。頭の片隅では解ってるかもしれない(解ってないと思うけど)「ヤバいんじゃないかな。前後の流れ的に」

 

 

 でも、勝っちゃうの「(偉い先生と)それ以来、親しくさせて頂いています」が(笑)。

 

 

 単なる権威の誇示だけでは済まない、絵に描いた様な反復ですコレ。「言わずにはいられない」といった。

 

 

 彼は、たかだか92年のトーフルの教科書に、たかだかちょっと古くさい認識が入っていたとして、アメリカの「語源学の<権威>」である「ジェラルド・コーエン」に、告げ口するの、「先生。トーフルの教科書に、古い俗説がそのまま載ってますよ」つって(ヤバいなあもう・笑)。

 

 

 こっから先の、何でも盛っちゃうマルマル盛り盛り雅也節には、むしろ乗っかっちゃった方が遥かに楽です。じゃないと、吐いちゃう。ギガ盛りすぎて(笑)

 

 

   <まあ、そんなんいったら、ワタシんとこにも来ますよ>

 

 

 キチガイからいっぱい。「菊地先生、どこそこの地方新聞が、マイルスをパーカーの同期みたいに書いてます」とかさ(笑)、「菊地先生、中上健次が、コルトレーンがアルバムでアルトサックス吹いてるって書いてありますよ」とかね(笑)。更に、ジャズ縛りに取っちゃったりなんかしたら、もう大変です。いろんなのが来るの(笑)。

 

 

 「そうですか。それは完全な間違いですね。直接その発行元に指摘するのがよろしいのでは?その際、ワタシの名前を出して頂いて全く構いませんよ」って返しますよ。勿論。(キチガイじゃない方へも、まったく同じ対応をしているので「あれ?俺(あたし)菊地さんから丁寧な返事を頂いたので、キチガイだと思われてるのかも?」とか思わない様にして下さい)。

 

 

 要するに、「親しくさせてもらって」ます(笑)。

 

 

<さて、例えばどこを盛ってるか?>

 

 

 もう、盛りが体質化しているので、盛らないと口も開けない人だと思うんだけど(つまり、100倍=100分の1の世界を生きてる人だと思うんですが)

 

 

 1)「オックスフォードディクショナリー」は確かに「アメリカの最高峰」どころか、英語圏でも最高ランクの辞書ですが、いうまでもなく同レベルの辞書はいっぱいあり、ワンノヴゼムに過ぎないです。

 

 

 2)ジェラルド・コーエンは、確かに編纂顧問として名を連ねてはいるけれども、「語源学の権威」として参加している訳ではありません。厳格に言うと、「俗語の担当」としてチームに入っています(これは、以降の「盛り」と連結しているので、後に詳述します)

 

 

3)そもそも山口さんちのマサヤくんが「日本人ジャズ研究の第一人者」ではない。

 

 

 とか、全センテンスにタコヤキのソースみたいに、びっしり盛られまくりなんですけど、その果てのオチに何が来るのかっちゅうと ↓

 

 

  「トーフルが<二度とこんな過ちは致しません>と認めた」

 

 

 と言うのね(すげえよな、これ・笑・ある意味、訴訟社会のルーチンなんでしょうけど)

 

 

 だけど、肝心の「以後、トーフルのこの設問の解答は、正しく直されています。ほら、この通り、トーフルは96年以降、問題の回答を修正しました(もしくは問題自体を削除しました)」という、最も必要なオチが、、、、、

 

 

 無いのよ~(涙笑)。トーフルの窓口関係者に頭下げさせて、そこで終わりなのよ~。単なるクレーマーじゃんか~(笑)

 

 

 ただ、ここまでお読み頂ければお解りの通り、上手いんですよ実に、先ず第一に、前述の「トーフルは以後改めた」だろうな、というミスリードに、スムースに成功してますし(もし本当に直ったりしたら、大いばりで画面に出します。この人は)、第二には、まるで「指摘だけして頭を下げさせ、さっとその場を去った名探偵」みたいになっちゃってるわけです。トーフルが年間何十万個の質問を管理していると思いますか?「面倒なのが来たんでルーチンで処理しとけ」ってだけですよ(笑)。

 

 

<雅也。オレがつきあってやろうじゃないか。オレのやり方じゃダメだろうけどな・笑>

 

 

 いみじくもトーフルがした(であろう)、「窓口対応」を、実寸大でちゃんと受け取り、、、つまり、ウザがられたり、シカトされたりを、いちいち適正値でカウントしていたら、生きて行けない人生だったんだと思います(人格異常者には、この「扱い」に延々と食って掛かる人もいますが)。

 

 

 でも、彼は違う。学者がルーチンの返事を一通くれて、いろいろな機関に窓口対応される事を、彼は「素晴らしい、誇らしい業績」と解釈します。彼の講義、総ての発言には、隅々までその痕跡に満ち満ちています。

 

 

 別にワタシが偉いという話しじゃないですよ、と前置きさせてから書かせて頂きますが、さきほどちらっと書いた通りですね、ワタシに直接メールして、お役所みたいな機械的な反応一通で済まされた。という方は、遠慮なく挙手して下さい。

 

 

 端的に言うと、ワタシはキチガイにつきあいます。

 

 

 第一には義母がキチガイだったからです。第二には、ワタシだって、山クンのような、一点突破の重症ではありませんが、全方面にうっすーくキチガイであって、彼(もしくは「彼等」)とワタシの違いは、怨念の狼がワタシに懐かなかった事。実力と才能が、山口クンよりかはいくらかあった事。だけだからです。

 

 

 ワタシはキチガイを異物と思えません(まあこれは、フロイドというよりアドラーに近く成ってしまいますが、いずれにせよアナロジーですね)。ですんで、どんなにキチガイに執着されても、とことんつきあいますワタシは(「キチガイとしかつきあわない」と言ってるんじゃないんで・笑・念のため)。

 

 

 それに、キチガイに対してひるんだり口ごもったり、その場を去ったりせず、キチガイの話しに乗っかって、どんどん逆に質問を返して行けば、妄想の限界領域まで尽きてしまった彼等は、絶対に自分から折れて消えるんで(「お前はマイルスを汚している。お前を殺す」という殺害予告をくれた男性と半年文通した事があります。これは初期の極例ですが、昔からのファンの方なら御存知の方も多いと思います。また、例外的に警察呼んじゃった事が、長い音楽歴の中で一回だけあります。これは、公演中に絶叫して暴れたんで、ワタシじゃなく、クラブが呼んだのね。ワタシはこの、完全に狂った女性ですら、一対一で、とことん話したかったです、、、、っていうか、以前2人っきりで話してるんですが。路上でね。まあこの話しはさておきまして)。

 

 

 アメリカという国家にキチガイの義母はいないでしょう(いたとしてもイギリスですし)。そして、あの忙しくて差別の塊である国が、キチガイととことんつきあうなんて暇なんかない国であることは、どなただって容易に想像がつくでしょう。

 

 

 山口クンの、「知己の無い有名な先生にメールを出し、返事をもらう事で<親しく(←この語も絶妙。「親しく」したいんだよね、山ちゃんは)させてもらっている。まあ、アメリカの慣用表現なのかもしれませんが>と考える反復」は以後、止まりません。

 

 

 「あ、ヤバい人だ」と反射的に身構えた学者達は、1~2通ぐらいはジェントルに対応し、それ以上踏み込む事はしなかったでしょう。マサヤの夢は担保されます。向こうから突っ込まれないんだから。

 

 

<それにしてもこれはいかんぞ~山口>

 

 

 英語権威主義であるデューは、こうした盛りラッシュの中、そこそこ大きめのフックをちょいちょい入れて来ます。タチ悪いんでピックアップしますね。

 

 

 「語源学とは英語ではエティモウロジィと言って、是非、この機会に単語を憶えて下さい」

 

 

 英語の先生も入ってきちゃってるんですけど(笑)、それは兎も角、「語源学」って、恐らく検索すればすぐわかりますけど、言語学の一部としてはかなり危なっかしい領域です。

 

 

<「語源学」っていうのは>

 

 

 基本はまあ、その国の言葉の語源を探る。っていう事なんですけど、これがすんげえ難しい考古学の一領域である事は誰だって想像つきますよね?ソシュール云々するつもりはありませんが、言葉は通時性によって、無根拠に変移するんだから。

 

 

 勢い、学問としての「語源学」は穫れ高が低く、敢えて結構ヒドい例で言うけど、イタリア語で米の事をルッチって言うんですが、これが日本語の「うるち米」の「うるち」と関係あんじゃねえの?的な事、つまり「比較言語」の領域内で、なんとか命脈保ってる様な学問ですよ。

 

 

 とは言ったって、正統な学問領域である事には違いなく、山口が「ビッグアップルの<語源>」とか言った風に使う学問ではまったくないです。

 

 ビッグアップル言い出したのがフィッツジェラルドっていうスポーツライターで、、、というのは、単なるジャズトリビア、もしぎりぎりまで大きく言っても考現学(これもまあ、正規な学問とは言えないですけど)であって、あれをして「語源学」というのは、アナロジーやポエジーとしてはいいけど、山ちゃんアナロジーで結んでないからね。ガチンコで語源学だ言ってるんで。「エチモウロジィ」とか、外国語講座の先生みたいに成っちゃって(笑)。英語力がアジアで一番低いとされる我が国の生徒達に教えてやってくれよ。聞きかじりのエチモロジーだけじゃなく、アナロジーも、ポエジーもさ。

 

 

 山ちゃんは信じてるの、偉そうな感じがする物は総て。だから巧みなミスリードとは断罪出来ないんだけど、とのかく語源学は「現代語の言葉の発祥を、雑誌かなんかの記事によって、正しく唯一に決める学問」なんて、安っぽいもんじゃないんですよ。

 

 

 それ言ったらね、よく芸人さんとかが「テンション上げて行こう」って言いますよね?あの「テンション」は「興奮」「覇気」みたいに俗転されて使われてますけど、もともと「高所緊張」の事で、特に「高所」が重要です。ギタリストの方ならば、初めて触るギターの指板を握って「弦高が高いな」というのを「テンション高いな」と言いますね。音楽理論にもテンションは出て来ますが「緊張させる音」じゃないんですよ。<度数的に、テンションはコードトーンよりも高い位置にあると設定した上で、度数を決められている>んで、そう呼ぶんです。

 

 

 この程度の事は、とてもじゃないですけど、正規には「エチモウロジィ」とは呼べません(アナロジーなら良いですよ。アナロジーは何をどうしたって良いんだから)。「語源学」は、もっとずうっとちゃんとした、しかもかなり有用性と確定性に欠く学問です。

 

 

 勿論、語源学を必死に真面目にやってる学者はいる訳で、彼等を、徒労に取り憑かれたバカだと言っているのではありませんので念のため。

 

 

<あとこれも、人格障害者特有の、恐ろしい引きの強さなんだけど(笑)>

 

 

 ここで、「語源学の権威」として「オックスフォードディクショナリー」の編纂に尽力している「アメリカでは非常に信用されてる先生」こと

 

 

 ジェラルド・コーエン

 

 

 が、出て来ますね。

 

 

 これは、哲学もしくは経済学やった方なら、日本の大学生でも知っている、

 

 

「分析的マルクス主義の代表的な学者であり「平等論」で特に有名な、イギリス人哲学者/社会学者の(ミドルネームは「アラン」)ジェラルド・コーエン」

 

 

 と、同姓同名なのよ(震笑)。

 

 

 この人が、オックスフォード辞典に執筆しているかどうかは知らないよ。でも、しててもおかしくない人だし、してたらそこそこの権威です。

 

 

 こっちの、<有名な方>のミドルネームは「アラン」、しかし山ちゃんが手紙出した人のミドルネームは「レオナード」です。

 

 

 更には、有名な哲学者のジェラルド・コーエンは、確か08年には死んでるからね。時間的に、山口っちゃんとの邂逅は無理とは言わないけど、単純に難しいよね。

 

 

 山がメールしたジェラルド・レオナード・コーエンって人は、「Origin of New York City's Nickname "the Big Apple"」っていう本で「ビッグアップル」が如何にニューヨークの語源になったか?というトピックを、軽いペーパーバック1冊使って書いた、エッセイスト、よしんばギリギリまで盛っても「米俗語の研究家」ですよ。

 

 

 それまで、「いろんな説が入り乱れていた<ビッグアップル語源>を、一応資料使ってまとめたのね(フィッツジェラルド説は、89年代末には出ていたので、一応、説得力を持たせただけだけどね→しかし、これでトーフルがいかに古くさいか解りますが)。「アメリカスラング辞典」みたいなの出してる新書の会社から、数冊出ていて、日本語版は1冊もありません(山ちゃんは、ここを利用するね。英語が出来な奴はバカだと思ってるから・笑)。

 

 

 スコット・フィッツジェラルドとジョン・J・フィッツジェラルドとの違いは得意げに解説する山ちゃんが、何故「これ、有名な哲学者のジェラルド・コーエンとは別人ですからね」って解説しなかったか?

 

 

1)勿論、盛りたかったから(自分と直接関係しているので)

 

 

2)有名な方のジェラルド・アラン・コーエンの事を知らなかった。

 

 

 究極の選択ですよね(笑)

 

 っていうかね、そもそもこの本、出版が91年なのよ。

 

 

 つまり、山クンが留学する96年より前なんですよね(笑)。しかも、山ちゃん、この本の存在を知ったの、講義ヴィデオ観る限り、留学中だよねえ(笑)。

 

 

 もっかい言うけどさ

 

 

「ここ20で発達したアメリカの、最新のジャズ学」

 

 

 どこに行っちゃったんだよ!!(笑)

 

 

 <アナロジー>や<ポエジー>なんか、誰でも知ってるだろ。と見切ったとしよう。でも、<エチモロジー>程度を、拡大的に権威的に振り回すなら、学問としては些か強度がある、「パトグラフィー(ペアトグラフィ)」の事も日本の人たちに、画面にスペル出して教えてあげてようよデューク。

 

 

 : pathography  : Pathographie

 

 

 <有名な(極端な)人物の生涯研究の中で、その人が残した手紙や著作から疾病を見いだして、その意義を考える学問>の事だよ(まあ、これだってギリギリの学問だけどね。学問としての接尾辞(gy)ないし、そもそも逐語訳は「疾病記録」だからね)。

 

 

 つまり、今オレが君にやっている事は、ソフトでライトな素人パトグラフィって事だよ(笑)。気分はどうかね?どうせ、旗色悪そうな部分は意識が全部除外しちゃって、揚げ足取れる部分だけを必死にサーチして攻撃するだけの、気の毒なぐらいセコイ脳みそだと思うけど(笑)。

 

 

<「性的な意味」への、ただならぬ拒否>

 

 

 さて、ソフトでライトな素人パトグラフィを続けましょう。

 

 

 「ビッグアップルの語源」に次ぐ、マサヤちゃんご自慢のお安い教養開陳ですが、またもや「語源」です。

 

 

 それは肝心要の「ジャズ」の語源で、まあ、「歴史」をやるなら、当然ここからだよね。という意味ではその通りなんですけど、「東京大学のアルバートアイラー」をディスる事とは全く関係ない(笑)、ウチラは平均率とバークリーメソッドとMIDIを繋いで見せただけで、ニグロスピリチュアルだのミシシッピーだのいう、ある種資料人類学的な歴史の話しなんかしてない訳よ。そんな本は掃いて捨てるほどあるんで、仮説に則った特殊な歴史観を提出しただけなのは読めば誰でも解る。つまり「ジャズの語源」だとか「ジャズの定義なんつう話は<してない>訳だよ。

 

 

 してない事の批判をするってどういう事だ?(笑)してない事をデタラメだって言うのって、どういう事だ?(笑)存在もしない現象を「アメリカでは通用しない」って、どういう事だ?(笑)

 

 

 「今更、そんな正気の質問してもしょうがないでしょう」と言うなかれ。この3つの質問に、彼の病理の殆どが集約されてしまうのは、最後までお読み頂ければ歴然とします。

 

 

<もう既にかなり長いので・笑・ちゅうか話しを解り易くする為に、一瞬展開をスキップさせるとですね>

 

 

 山口雅也先生の講義第一弾「ジャズの歴史」は言うまでもなく、第二弾の「マイルス研究」も、第三弾の「自分の音階の本解説」も、全部見ても、「この20年間で変わって来た、アメリカの最新のジャズ研究のありかた」

 

 

 一切出て来ません(笑)。

 

 

 コケザルの壷、もしくはマグガフィンですよ。つまり「一番期待して、しかもそれが存在する事を暗示し続けられた宝物の中身が空だった」ちゅうことです。

 

 

 

 山口、時間を返してくれ(笑)。オレは忙しいんだ。恐らく君よりいくらかね。

 

 

<時空に関する万能>

 

 

 じゃあなんでこの人、こんなテキ屋みたいな事を堂々とするんでしょう?

 

 「自分が輝かしい留学生活で習った事」=「最新アメリカ本格的権威あるジャズ研究」だからです。となると、96年から99年まででです(ギリで20世紀じゃねえか・笑)。怖いよこれー。確かにね。「その当時は、それが最新」でしょうよ。ワタシも86年には「日本でも大分変わって来た、最新のファッション」着てましたよ(笑)。

 

 

 ここの齟齬、っちゅうか、齟齬どころじゃねえな、個人の生涯時間感覚と、世界の時間/時代感覚に自立律も排他律も同一律も、つまり矛盾も現実的正否もなんもない、胎内的な完全な自由。こそが、山口雅也さんの主観的世界で、Amazonのユーザーズレビューに登場する「デューク本郷」とは、別の感覚なんです。デュークの時間感覚は、まともだからね(時間感覚だけですけど・笑)。なので、この2人が同一人物である事は「隠したい」というより「お互いに(認めるのは)無理」なんですよね。

 

 

 そんな、山口雅也の「ここ20年でアメリカのジャズ研究も大分変わって来ました」という魔法の1行は「犯意のある、誇大申告」ではなく、彼にとっての事実なので、とても強度があり(自分に対する信心という)、あたかも、<自分が学士としてジャズの大学でこの20年間、正規に研究をしてきた>というプロフィールのミスリードをいとも簡単に仕上げちゃう訳です。

 

 

 しかし実際の「この20年間」は、

 

 

 この人、図書館通いだからね(笑)。教育受けてないし、また、前編~中編で書いた様に、教育を「やってもいない」の(悲しい。本当に)。典型的な自己愛人格障害者の万能感ですよ(笑)。しかも厄介な事に「図書館通い」で「研究してる」から、充分自分の前言と矛盾しないんですよね(万能だから、そもそも何も矛盾しないんだけど・笑)。

 

 

 と、具合悪く成って来た方もいるでしょうから、気分良くしましょう。話し戻しますが、「ジャズ」の語源について、先ずは前掲書「だけど、誰がディジーの」からの、素晴らしい一編を全文引用します。

 

 

           前掲書P29   

 

 

          「ジャスミンのノート」

 

 

 疑いの余地なく、ジャズのゆりかご(発祥地)は、まさしくニュー・オーリンズの赤線(合法売買春)ゾーン、ストーリーヴィルである。総ての音楽理論家達は、この音楽スタイルが、<ワークソング(黒人奴隷達が歌ったアフリカ伝承の歌)とゴスペルやニグロ・スピリチュアル(黒人の宗教歌)と、ブルーズとラグタイムとの巧妙な混合物から生まれたという意見で一意している。20世紀の夜明け、ピクニックやパーティーで人々得お踊らせるためにそのカクテルを仕上げたのは、パレイド用の少人数編成バンドだ。そこから年を追うごとに、そのカクテルはどんどん複雑に、個性的な物になっていった。

 

 

 さて、そこで残る疑問が、<JAZZ>という言葉の語源である。それを突き止めることが数多くの研究の対象に成ってきたのだけれど、それには決着のつく目処が全く立っていない!

 

 

 最初にこの言葉が書かれた形跡として残っているのは、1912年4月2日付け「ロスアンジェルス・タイムス」紙のスポーツ欄。ベン・ヘンダーソンという名の野球ピッチャーが、そこで彼特有の球種<ジャズ・ボール>について「ボールが揺れ動いて、バッターはまるで手が出ないのさ」と語っている記事だ。これはストリートの表現からくすねて来た言葉で、音楽とは関係がない。音に関わりがあるとしても、せいぜい速さと力強さを連想させるオノマトペといったところだろう。シカゴで広まった新種の刺激的な音の名称として、この言葉に複数の表記(JAZ/JASS/JASZ)を用い始めたのは1915年以降のことだ。

 

 

 で、だから、どうしてこの言葉なのか?だ。これは精液、あるいは種、もしくは精神、エネルギーを意味する<jism>から派生した俗語<jasm>から来た可能性がある。

 

 

 また一部の人たちは、これはフランス語の<jaser>(*注1)、もしくは<shasser>(*注2)のクレオール的変化による言葉だと主張している。

 

 

 さらに、複数のジャズメンがこの言葉を作り出したのだと言う人たちもいれば、これはアフリカ起源の言葉であり、そのバンドゥー語(*注3)で、」音楽を演奏すること」を意味する<jaja>が語源なのだと言う者もいる。

 

 

 それから、最も詩的な説もおさえておこう。

 

 

 当時のストーリーヴィルの売春婦たちが好んで使っていたフランス語の香水にはジャスミン・オイルが使われており、その香りを指すものとして<jass>という言葉が生まれたらしい。そして彼女たちは、自分に近づいて来る、お客になってくれそうな連中に対し、そそるような声でこんな言葉を放っていたのだ。

 

 

Is jass on your mind tonight,honey?(今晩、ジャスミンの香りはいかがかしら、ハニー?)

 

 

注1) フランス語のjaserは、ぺちゃくちゃしゃべる、の意。これは動詞の原形に(不定詞)なので、主語<私>にあわせて活用するとJe jase(ジュ・ジャス)となる。

 

注2)shasser(シャセ)は、狩る、追い立てるの意の動詞。同様に活用させるとJe shasse(ジュ・シャス)となる。

 

 

注3)アフリカ大陸中南部の広い範囲で使われている言語で、話者数は3億人を超えるとされる。

 

 

 こっちのがいくらかフェアじゃないの?「実際の所、諸説あって解らない」「ジャズボールの<ジャズ>は、ジャズミュージックとは無関係っぽい」の方が。

 

 山ちゃんが鼻の穴膨らませまくって、初出コピーして(前も書いたけど、こんなの簡単・笑)、誰も知らねえだろう馬鹿野郎ぐらいの勢いでドカーンと掲げてるジャズボールの事もしっかり書いてるしさあ(語源と関係ないって・笑)。

 

 古い記述なら無条件で正しいのか?じゃあ<16世紀のイギリスに「jazz」っていう農民の踊りの記述が出て来たら、また覆るの?>「いやあ、それはジャズミュージックが生まれる前ですから、ブッブー。アメリカじゃ通用しませんね」っていうかも知れないけど(笑)、そんな事言ったら、ニック・ラロッカの「オリジナル・ディキシーバンド・ジャズ・バンド」による「ジャズミュージックの、世界最初の録音」は1917年だぞ(笑)。「ジャズボール」は、それより古いよ(笑)。古い話しならお得意だろう。古い図書館通ってんだからずっと(笑)。

 

 

<もう疲れたんで、止めますが>

 

 

 ここでの山口雅也さんの、半ば「なりふり構わない結論」の目的はひとつです。

 

「ジャズを、<エロい>カルチャーだと、死んでもさせない事(講義観ればお解りですよね?激高するもんね。「ジャズに卑猥な意味があるとする人たちがいるんですよ!!」という辺り)です。

 

 これは、 

 

1)      北米で

 

2)      「ジャズの正しい歴史」を編まんとする

 

3)      白人中心の研究施設が

 

4)      ジャズに権威を持たせる為と

 

5)      ピューリタニズムの潔癖さを貫く為に

 

6)      不必要なまでに「麻薬」と「売春」を歴史から消そうとする

 

 という、ひとつの、面白くもない、オーディナリーな傾向に100%則っていて、同様意見は山口だけではないです。

 

 <ピューリタンの真面目野郎が今や日本ですら大学の科目であるジャズやヒップホップやロックを、ピューリタニズムに適合した権威にしようとするならば、現実には半権威であり非差別であり、麻薬にもセックスにも満ち満ちていた対象を歪めなければならない。ジャズ、ヒップホップ、ロックンロールなどの、カラードの音楽を権威に引きずり上げる時のコンフリクトは相当でかく、また、避けられない。ジャズやロックやヒップホップを<汚らわしい>と忌避するならまったく矛盾はなし。しかし、精神的ピューリタンの癖にこれをしようとするバカ共が(清教徒をバカだと言っているのではありません)腐るほどいる国=アメリカ>

 

 っちゅう事なんです。

 

 ワタシが山口への公開討論を呼びかけた、Amazonのユーザーズに書いた文章の中に

 

 

<また、これは個人的な経験であり、性急に一般化は出来ませんが、2007年に石川県七尾市で開催された「日本ジャズ教育サミット プレ大会」というのにパネリストとして参加した際、<モントレージャズフェスティヴァル・ジャズ教育部長/カリフォルニア州音楽教育協会前会長/カリフォルニア大学教授>という大変立派な肩書きのDr.Robert B Klevan氏(因に白人男性です)が「アメリカに於けるジャズの現状と教育」という講話されたのですが、以下、一瞬、やむおえなく汚い言葉を使いますが、反吐が出るほどファックな「ジャズ史」「教育観」が開陳され(討論に応じて下さった際には、この時壇上から吐かれた、異様なまでに権威主義的で人種差別的な言葉を、お望みであらば、ですが、お教えする事も可能です)、終止パネリスト席から中指を突き立てていたら関係者から注意された。という苦い経験もあり、「アメリカでジャズを教えている白人」アレルギーがあるのも事実です。あなたとの公開討論で、こうしたトラウマシックな(注意された事が、ではなく・笑)記憶が霧散する事を期待しています。>

 

 という一節がありますよね。ここでのロバート・クレヴァンの、ファックな演説の第一声はこうでした。

 

 「ご来場の皆様。特にご父兄の皆様。先ず最初にワタシが断言します。もはやアメリカでは、ジャズは、麻薬とは全く無関係な、最もクリーンで高潔な藝術として認識されています」

 

 

 そりゃ中指立つよ(笑)

 

 「こうした長くしつこい誤解は、歴史のごくごく初期に於いて、一部の狂った(*明らかにこう言った)、犯罪者的な(*明らかにこう言った)、ニグロ共の行いが伝説化した物であり(*明らかにこう言った)、こういった恐怖と汚濁のイメージを払拭する為に我々は努力に努力を積み重ねて参りました」

 

 

 そりゃ中指下げらんねえよ(笑)

 

 山口個人は、こいつらの精神的な手下です。

 

1)      先ずは権威主義(これは北米に於いては白人至上主義と癒着し易い)であって

 

2)      成功への渇望が強く

 

3)      性的な事、麻薬、暴力等々を、病的に嫌悪している(ピューリタンの病)。 

 

 これらマサノミクス三本の矢は、揺らぐ事なく、山口と、そのバックにある巨大な組織のモットーとして今でも生き続けています。

 

 そして(1)の根拠、つまり「マイナス(1)」には

 

 とてつもない一瞬の、あるいは漸近線的にゆっくりゆっくりとした屈辱経験から、自分を武装しないと行きて行けなく成った。

 

 という点が推察されます。劣等感ですね。アメリカの劣等感、山口の劣等感、それを読む人の劣等感。菊地×大谷を読む人の劣等感は、MIDIのように一瞬で繋がります。(勿論、ワタクシ菊地の劣等感、大谷の劣等感とてあるに決まってますが、チャンネルが違う訳です)

 

 

  <第二回「マイルス講義」については、自己模倣の手数尽きで、書くべき事もないです>

 

  気の毒なルイス・ポーターの連呼、「歴史編」でもそうだった、「広げた風呂敷がたためない、シュールな終わり方(長く成るから触れなかったけど、あれヤバいよね。しかも、あの辺の研究は、大谷クンがちょっとした権威だぞ)」、潔癖性。勿論、見上げん程の高見からの権威主義と、気持ちが悪く成る様な売り込み。

 

 重要な指摘があるとしたら

 

1)(本当に驚くべき事に)山口は、まだ我々が東大の教授かなんかで、この10年、毎年同じ講義が行われていると信じている事(一体全体、何をどう読めば、そんな妄想に駆られるのだろうか?)

 

2)「ソーラー」を我々が「マイルスの代表曲(いかにもマイルスらしいメロディ感と、何せ、墓石に掘られるほどの有名曲だし)」としていることを、「剽窃である事(これは知りませんでしたが、公開討論要求の文章にある通り、驚きもしないし、むしろ我々の論旨が強化されたので感謝しています)、「ハウハイザムーンのコード進行を想起していない事」から、バカ扱い、というか、犯罪者扱いぐらいの糾弾を浴びせている事。

 

3)二回目57分18秒の激昂。「そういうひとたちってねえ、ひきずりおろれるし、もう二度と教壇に立てなくさせられるんですよ、<あなた専門家じゃないの?>って話しになるでしょう?」

 

コメント(1)

 

ちゃんと我々の本を読んでないか、読んでも目に入らない。という、かなりの怨念の噴出により、判断力が完全に止まってしまっている状態(まあヒステリーとも言えるけれども、かなり重症)

 

コメント(2)

 

 ソーラーを「マイルスの最高の曲」なんて、1文字も書いてないし、一言も言ってない(笑)。「ソーラーは、独特のムード、実にザッツ・マイルスなムードを持った曲で、マイルス前半の分析対象に値する(後半の対象は「デコイ」)。また「ハウハイザムーン」のコード進行の想起などは、余りに簡単な事なので、前提として触れてもいない(笑)。コード進行に関する主眼は別に指摘しているし、それよりも遥かに高度な分析を、他ならぬ濱瀬先生と、布施先生がおこなっているので。

 

コメント(3) 

 

 自己愛の化け物は、鏡を見て、自分に対しだけ話す。鏡よ鏡、誰への話、これ?(笑)

 

 因にオレたちなら東大から何も言われてないし、何の処罰も受けてないし、何せ1年半でおさらばしている。怒られた事があるとしたら「アース、ウインド&ファイアーの<セプテンバー>がうるさいから、音量を下げて欲しい」の一回だけ(笑)。

 

 

<追加コメント>

 

 山口は、我々の「原理的におおよそ個人が編んだ歴史という物は多少鳴りとも偽史である(←単なる一般論)」に対して、激高している。「唯一の正しい歴史」があると思っているのだ。 

 

 しかし、一方で「本場アメリカ」「ニューヨークはマンハッタン在住」「図書館でコピーした原書の重さ(しつこいようだが、誰でもコピー出来る)」「英語に堪能」を権威的武装の道具にしている。 

 

 再びしかし、「アメリカの過去のジャズ史には間違いが一杯あった」という事も前提化されている(笑)。 

 

 ここから導き出されるのは、山口の「唯一絶対の正史」は、<自分が96年から99年に学校で習った事>と<その後、IJS(いわゆるニューヨークには無い)という図書館で調べた事>の曖昧な融合。であるということ。 

 

 なぜ「曖昧に」融合するのか?(「がっちり融合」しても良い筈) 

 

 途中に、意識に断線が入るほど(実際に記憶を喪失している可能性もゼロとはとても言えない)の、屈辱体験があると予想される。

 

 そこでは<あなた専門家じゃないの?>と、<ひきずりおろれ><もう二度と教壇に立てなくさせられた>可能性が、ゼロではない。山口は演奏で入学し、(いつのまにか)研究に転向している。この事について明確に書かれた事は無い。 

 

<追記2/警告>

 

 こんな風に、キチガイの詐術に持って行かれてしまう人々が山ほどいる。Amazonのユーザーズレビューを読み、彼を支持する「騙され易い人々」の多さを嘆いても、まあ、今更仕方ない。ワタシは実質上の中卒で、英語も話せないし、原著なんか一冊も持っていない。今回は、友だちが訳した最近の本を一冊使っただけ。しかし真実は物に宿るのではない。しかし、この程度の奴の権威主義とカリスマに持って行かれる人々は、戦争を準備する人々だよ。 

 

 山口雅也=デューク東郷(その他)については、これで終了します。コンテンツは、誰でも知っている事を図書館の図版付きで説明、オリジナルの発想は、薄っぺらいか狂った様な感じ。しかし、権威主義のオーラによって、「本物感」だけは充分。典型的な、女占い師の自我。付いて行く人は大勢いるでしょう。これは呉智英の言葉ですが、バカの中にあっては、大バカはバカの王である。これがアーレフであり、これがISです。つまり、無くなりはしない。我々は敵と共存するしかない。この長い文章をワタシは「(土下座しながら)すみませんでした菊地さん。あなたを胡散臭いとか言って、山口を信じかけてしまい。お詫び申し上げます。これこの通り。ううううう」とかいった、気の毒な人を量産しようとして書いたのではありません。

 

 そんな人は、おそらく世界中の日本語が読める人々を全員かき集めても1〜2人でしょうし、そんな人にワタシは興味は無い。「学歴詐称」から始まり、ワタシは、「読まれなくとも、恣意的に編集されても構わない。とにかく自分は、この事を自分の口から言うべきだ」という事を厳選して書いただけです。この回に関してのみ、もう少し具体的に書くならば「山口の妄想と別に、アメリカの最新のジャズ研究、ジャズの修得法、ジャズの聴取法は、優れた教育機関でちゃんと行われ、しかし未輸入である」という事です。山口の病理は、企まずして、この事実に、綺麗に寄生し、多くの人々を惑わせた」これは、明確にしておかなくてはならない。

 

 連載中に「どっちもおんなじキチガイだな」という、バカからメールが来ました。まあこのご時世、ワタシの様なバカが、バカを嘆いてもキリがない。論争対象のテキスト(Amazonのユーザーズレビュー)も、発端となった本(菊地×大谷の著作)も読まず、SNSだけで飲み食いしている乞食にまで物を伝える現代的で素晴らしい実力はワタシには無いです。という訳で次回は本当に最終回。「何故、無料で読める世界。から(再)撤退するのか?」について書きます。これもバカがすぐに勝手に挑発されてしまう。勿論、金が欲しいからそうするのではない。今、金が欲しかったらブログもSNSもやった方が良いに決まってるじゃないか(笑)。  

 

 ではまた次、、、、、、、っっと!!うおーーーーっと!!!そうそう忘れてた忘れてた!クソ長い文章の画竜に点睛君を打たないで終わる所だったよ(笑)。あっぶねえー(笑)。 

 

 ヤマグチ。君が自分で書いたwikiMarquis Who's Whoに自分について書いた文章があるよね?だから読んでみたんだ(笑)。

 

 そこには、日本における君の卒業大学が記されてる。

 

 オレも自分が、「入学金払っただけで、1日で自主退学した、東京近郊の4流滑り止め私大」の名を、今までボロカス言っちゃったんで、申し訳ないから名前伏せてるし、君はキチガイだけど可愛い所もあるから、武士の情けで、大学名は伏せてあげようね。 

 

 東京の郊外にある大学だよね?

 

 そこの英文科だ。英語が好きだったんだろうなあ。

 

 えーっと、「明星大学」だっけ?これ「メイセイ」って読むの?「ミョウジョウ」って読むの(知ってるけど。Marquis Who's Whoにはアルファベットで書いてあるから・笑) 

 

 これは、米国向けのプロフィールには書いてあるけど、日本向けのには書いてないよね? 何でなのかな? 

 

 旺文社大学受験パスナビによると、メイセイ大学の偏差値は 

 

  外国語|英米語 

 

 35・0〜40・0 

 

 君が日本語のwikiには日本の卒業大学を書いてない理由はこれだよね?

 

 明星大からニューヨーク私立に留学。なんて、明星の英雄だったんじゃないの?書きゃ良いじゃないか(笑)。隠すなんて、母校に対する侮辱だぞそれは。 

 

 偏差値なんかどうだって良い。っていうか、官僚にでもなりたいなら話しは別だが、学歴なんてどうだっていいんだ。何度だって言うけど、オレ、実質中卒だよ(笑)。オレが中卒だからインチキな訳?

  だからなんかな?オレがあっちゃこっちゃの大学の先生やって、好きな話して5~6人以外の生徒が全員居眠りしてる訳だよ(笑)。楽しいよ。ギラギラに集中してる子と、白目剥いてる子を教壇から見比べる事は。教壇に立った事も無い教育者である君には想像もつかないかもしれないけど(笑)。

 

 しかしだ、ヤマグチくん。君みたいな権威主義、特に学歴、特に留学にそのフォーカスが絞りきれちゃってる人(かつ童貞)のやった事として、これはありきたりすぎだよ。がっかりしたぜ(笑)。オレは楽しみにしてたんだよ「最近の、アメリカのジャズ学」とやらだけじゃない、キチガイの詐術の、デフォルトを越えた部分を。一切なにもなかったけどね。

 

 もう一度言う。オレたちは君にはがっかりさせられっぱなしだ。そして、合衆国のジャズ界は、がっかりさえしてないぜ。移民っていう黄色いウジの一匹だよ。君の卒業式に来てくれた、ヒラリーにとってもな。

 

 オレたちに憤激して、良く読みもしないで、ガブガブ噛みまくった理由も、濱瀬先生の業績を、揚げ足取りのバカみたいな嘲笑で1人ヒーヒー言ったのも(しかも、違う本を一緒にしちゃってるし・笑)、理由は同根だ。オレは中卒、濱瀬先生は慶応義塾大学卒。喉から血が出るほど名声が欲しい、メイセイ大学(だっせえライム)には、どうやら出る暇ねえんだよ。ウチ等の国では。

 

 

 出身校の名前まで曝して、キチガイだの童貞だの書いてるんだ。これは充分訴訟に値するよな?

 

 だっったら1秒でも早く告訴してくれ。待ちきれないぜ。待ちきれなくて、このまま歩いて国会議事堂まで行っちまうよ(笑)。

 

 しかし、君が一番良く知ってるだろう。インターネット社会の中に法なんか無い。ネットの中には個人の名誉なんて無い。だから毀損も生じない。君が別の人格で、好き放題に名誉毀損を行っても、消されもしなかっただろ?芸能人が2ちゃんねる起訴して、勝った試しがあるか?(オレが知らないだけで、数件は合った様な気がしないでも無いけど・笑)。

 

 殺人予告でもしない限り、こんな程度じゃ誰にも裁けない。もしオレが君の携帯番号を(勿論知ってる・笑)書いたとしても、1円の罰金も必要ない(昔やった事があるけど、いかなる団体からの、コーションすらなかった)。ブログは消去すればそれで終わりだ。そして番号はどんどん拡散する。嫌な世の中だな。雉も鳴かずば撃たれまい。1億匹の哭けない失語症の雉、あるいはコポロラリア(醜言症=毒舌が止まらなくなる、一種の人格文理)の雉、その集団列島に向けて、君は合衆国から好きなだけ狙撃ライフルを撃って、一発も当てられず、大暴れの発砲記録だけが残った。

 

 つまり、こういう事だ。我々のリングとして唯一存在する、Amazonの画面の中で、訴訟するのは、実際に商品を流通させている我々の方だって事さ(笑)。やられたな、「無名の人間も自己表現が出来ます」の罠に(笑)。これ考えついた奴、相当なワルだよね(笑)。

 

 法廷で会おう。まあ、民事だろうけど。民事のが距離が近いしね(笑)。ご自慢のスタインバーガー二刀流もって民事裁判所に現れてくれたら、嬉しくて悲鳴あげちゃうかも(笑)。オレは君の前から消えない。君を救う為にもね。SEE YA!!   MASAYA!!